命題が正しいのに対偶が正しくないパラドックス
2022/9/18(日)
命題が正しいのに対偶が正しくないパラドックス
ネットで見つけた問題を考えて見ました
(2019/9に書いたリニューアル記事です)
問題
命題:「注意されない ならば 私語をする」 が正しいなら
対偶:「私語をしない ならば 注意される」 は正しい
...正しくない気がする
何故か?
前提
(論理)
命題:「A なら B である」 が正しいなら
逆 :「B なら A である」 は間違い
否定:「A でないなら B でない」 は間違い
対偶:「B でないなら A でない」 は正しい
(例)
命題:「りんご なら 果物 である」 が正しいなら
逆 :「果物 なら りんご である」 は間違い
否定:「りんご でないなら 果物 でない」 は間違い
対偶:「果物 でないなら りんご でない」 は正しい
(問題)
命題:「注意されない ならば 私語をする 」 が正しいなら
否定:「注意される ならば 私語をしない」 は間違い
(注意されても私語をするかも)
逆 :「私語をする ならば 注意されない」 は間違い
(私語をすると注意されるかも)
対偶:「私語をしない ならば 注意される 」 は正しい?
考察
時系列をはっきりさせる
この命題の場合、注意という過去のアクションに対して
私語の現在のアクションが決まるという時系列で考えると
命題:「注意されない(過去) ならば 私語をする(現在)」
が正しいなら
対偶:「私語をしない(現在) ならば 注意される(過去)」
は、現在私語をしていない ならば 過去に注意された
という事になり、正しい事が分かります
勝手に現在と過去を入れ替えて
私語をしていないのに注意されるという
誤解をしたためパラドックスに感じたという事です
おまけ
命題:「注意されない(過去) ならば 私語をする(現在)」
に対して、次の事が成り立つ
注意されていない ならば 私語をする
注意された ならば 私語をする or 私語をしない
私語をしている ならば 注意された or 注意されていない
私語をしていない ならば 注意された
命題が正しいのに対偶が正しくないパラドックス
(2019/9に書いたリニューアル記事です)
対偶:「私語をしない ならば 注意される」 は正しい
命題:「A なら B である」 が正しいなら
逆 :「B なら A である」 は間違い
否定:「A でないなら B でない」 は間違い
対偶:「B でないなら A でない」 は正しい
命題:「りんご なら 果物 である」 が正しいなら
逆 :「果物 なら りんご である」 は間違い
否定:「りんご でないなら 果物 でない」 は間違い
対偶:「果物 でないなら りんご でない」 は正しい
命題:「注意されない ならば 私語をする 」 が正しいなら
否定:「注意される ならば 私語をしない」 は間違い
(注意されても私語をするかも)
逆 :「私語をする ならば 注意されない」 は間違い
(私語をすると注意されるかも)
対偶:「私語をしない ならば 注意される 」 は正しい?
私語の現在のアクションが決まるという時系列で考えると
が正しいなら
対偶:「私語をしない(現在) ならば 注意される(過去)」
は、現在私語をしていない ならば 過去に注意された
という事になり、正しい事が分かります
私語をしていないのに注意されるという
誤解をしたためパラドックスに感じたという事です
に対して、次の事が成り立つ
注意された ならば 私語をする or 私語をしない
私語をしている ならば 注意された or 注意されていない
私語をしていない ならば 注意された