メモ (15回目)
2025/ 11 / 17 ( 月 ) 論理学は数学の一部で数学は哲学の一部 数学は理系の科目ですが 理系文系両方で使われます 国語は文系の科目ですが 文系理系両方で使われます 国語や数学で現実(事実)を表したものは 科学の一部になります ガウス記号[a]はaを超えない最大の整数 [[1.9×2]×1.1] = [3×1.1] = 3 [[1.9×1.1]×2] = [2×2 ] = 4 なので概数では掛け順を変えると答えが変わる と言うのは (1+2×3)×4 = 28 (1+2×4)×3 = 27 なので掛け順を変えると答えが変わる と言うのと同じで 掛け順以外も変えてしまっている 科学は現実(現実であることだけの事実の追究など) 哲学は空想(理論的に正しいだけの真理の追究など) 現実は頭の中以外にも存在する広い範囲 空想は頭の中にしか存在しない狭い範囲 空想の方が現実より広い範囲を扱うという考えは その人の空想でしかないが楽しむ事はできる 路上喫煙を注意してトラブルになり 警察が介入してきて違法喫煙者を注意せずに 喫煙者に近づく方が悪いと言ってきた 法治国家では違法者が悪いとなるはずなのに ここ日本は法治国家ではないらしい どの職業にもおかしな奴はいるようだ まったくの素人考えですが 面φ(x)=0に対するgradφは勾配というより 法線(法線方向ベクトル)と言った方が 分かりやすい気がします 批判される行動をとってしまった人がいて その人を批判している人が その人の立場だったとき同じ行動をして しまうだろうという想像力はあってほしい 人間は世界を言葉で理解すると言われるが 言葉は現象のデジタル化なので人に伝えやすくは なるが失われる情報も多い 数学などで科学的に理解する方が 人に伝わりにくくなるが解像度は高まる 虹は言語化すると 7色ほどだが実際は無限色に近い